2016年3月14日月曜日

【評論する事】と【市場を分析する事】の違いが何で分からないのか?

当ブログの奇特な読者の皆様方は、主に【ゴルフ】をテーマにしたエントリーを読むために訪問なされます。ありがとうございます。

当然の様に、【ゴルフ】以外のキーワードで書き下ろしたエントリーの集客はと言いますと当然ながら一部のカテゴリーを除いて惨憺たる結果となるのでありますwww

しかーし、そこはそれ。

わたしも一介のしょぼくれたブロガーのはしくれとして、どーも書かずにはおれない事も時折発生するので今回はそのくだりを・・・

※※※※

最近、つとに何かとマーケットに関するいわゆる「マーケティング」と言うものを多投する機会が何度となく訪れるのですが、それを駆使してリリースするにつけて、ともすれば「評論」とみなされる現象に非常に頭を悩ませております。

思い起こせば、20数年前つたない学業のさなかで専攻の一部を「マーケッティング論」として机上の空論を勉強し、社会人になってから20数年それを実社会で実践しながら修正したり加筆したりと自己消化して現在に至るのですが・・・

どうも、一部の方にはいまだに「マーケティング」を存じ上げない勢力と言うのがある一定程度存在し、その理屈に合わない仮説を目にすればアレルギー反応の様に「評論するな!」とこう来るのです。

【評論】

ウィキペディアより・・・
評論家(ひょうろんか、英: Critic)とは、評論を職業とする者である。批評家ともいい、分野によっては鑑定家ともいう。職業とする限り、公共性の高いメディアに対して、事象に関して自身が専門的知識にて考察した「個人的見解」としての評論することを生業としており、評論を公にしたことへの責任は評論を公開した公共性の高いメディアの事業者に帰する事になっている状態で召喚されている。
特に現代思想、哲学などにおいて「評論家」ではなく「批評家」と呼ぶ場合については、「批評critique」の項目も参照も参照されたい。







【マーケティング】

同じくウィキペディアより・・・
マーケティング(英: marketing)とは、企業などの組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにする」ための概念である。また顧客のニーズを解明し、顧客価値を生み出すための経営哲学、戦略、仕組み、プロセスを指す。

マーケティングに関しては、当ブログのサイドカラムにも張り付けて久しい”長江 一石氏”の得意分野のブログを時折参考にしてもらうとその有効性が理解できると考えるのですが・・・

やはり二つをよく読み比べてみても・・・

「個人的見解」VS「顧客価値を創造するための考え方やプロセスを現す概念」

全然違うやん・・・

そういえば、学生のとき、教授もよく言ってた事を思い出した。

「マーケティングに達する推論を評する時に、個人見解の評論と勘違いするな!されるな!」と。

つまり、マーケティングをよく知らない人や組織に対してそれを分析する際は注意深くかつよく咀嚼して聞き手に伝わるように工夫しろと!
でないとただの個人的な見解であると誤解を生む考え方だぞ!って。

まんまその通り。

私の伝達方法がまずかったのかもしれないですな。トホホ。

小学生でも、「相手の立場に立って・・・」とかそののちに「使う人の気持ちになって」などとビジネス上の変化を遂げて、「マーケティング的には」などと昇華していくものであると勝手にわたくしが考えていただけでした。

そんな概念の無い所へぶつけても確かに「????」となって、ははーん・・個人見解はそうか。
なんて想定しない解釈をされるだけでした。

これは、かなり手ごわい。

当ブログでもかつて引用した、「相手(敵)を謀るにはまず、知能の度を持って測るをまずとす」なんて昔の諸葛亮公明がのたまったセリフを忘れておりました。

この場では敵でも何でもないけどwww

この市場分析の受け手となる向こう側の人の事でした。

それでも、向こうもさるモノながらこっちより格段に「マーケティング」とは何ぞやを熟知しているかもしれないので、一概には断定できないんですけど。

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とにかく、今回のエントリーのテーマは書かずにはいられない不思議な衝動に駆られたので思わず書いてみました。

このエントリーを読まれた方も、漠然とした内容になっていて、かつ個人を想定して記述したモノの様に取らないで読んで頂けるとこれ、幸いです。