2014年8月5日火曜日

玉置浩二って、改めて天才だなと深く感じた件

今日は、快晴の中一人で遠方へ出張です。
何時も聞いているMBSの毎日放送も滋賀県を過ぎたあたりから雑音に変わりました。
静かな車内は苦手なので、新しいiPhoneに留めていた曲をブルートゥースで再生です。

1曲しか入れていないので、何度もリピート再生を繰り返しました。
道中も山あいへと景色を変え、口ずさみながら目的地を目指してハンドルを切っていました。


そんな田舎の山並みを横目に流していると、何だか昔の若かかりし日の郷愁や青春模様が脳裏を巡り、何時しか目頭が熱くなり...

人は、現在進行形の事に対して涙する事は少ないと思います。
しかし、過去のシーンを現在の自分に投影した瞬間に熱く込み上げる物が現れるのです。

最近はと言うと、このエントリーにも掲載しているように、物欲や金欲に起因する猥雑な物に取り付かれ、ともすれば、大切な何かを見失っているかの様に見る人によっては、そう映るかも知れません。

歌詞の中に度々繰り返されるフレーズが、ワタシのそうした心の垢を一つまた一つと丁寧に剥がしてくれる感触が分かりました。

「何も無くて愉しくやった...」とは、誠に言い得て妙な表現です。
ホントにあの時は、何も無かったけど楽しくて充実していたのは何故でしょうか?

或は、一人でしか噛み締める事の出来ない過去の恋愛の情景など。
周りの景色とマッチし、過去の純粋だったあの時を思い興させるには十分な時間でした。

◎オッサンのハート、わし掴みやんかいさ!(涙)

歌は心で効くもので有る。と久しぶりに鳥肌が立ったのでした。
車で音楽聴くのって心に沁み入るのよ。
音楽業界の不況も、ニーズに即した歌詞の理解出来る楽曲が少なくなったからだと
勝手に推測しています。

玉置浩二の「メロディー」久しぶりに聴いたら泣けちゃうよ。



最近心が筋肉痛だな!っと感じたあなた。是非!!