2016年1月21日木曜日

謝ると言うことに意味のない時ほどため息が出るものはない・・・わかるわぁその気持ち

きっぱりと言い切ってしまう私が悪いのですが、
昨年から続いているSMAPの独立及び分裂騒ぎですが。

ごたぶんにもれず、私も翌日のニュースで謝罪の様子をTVで見ておりました。
タイムリーな生放送の時も少しだけ見ておりました。

そうです、最近芸能ニュースを騒がせている、ゲスい方ではない男性グループの問題のほうです。

芸能関係に全く縁のない部外者の私ではありますが、謝罪の際の中央で前を見つめて自信ありげに謝罪を堂々としていたキムタクの様子がどうもひっかかるなぁ・・・なんて。

野次馬根性丸出しで、各種情報誌やスポーツ紙などを読み漁り、「ガリガリガリクソン」のようにツイッターで持論を展開するとIDが削除される怖さも手伝って、真実は闇の中・・・
といいますか、「声の大きい方が勝ち!!」みたいなご時世にあって、何だか釈然としない一素人なのであります。

そう、あの謝罪会見での”中居くんの途中でついたため息”
これが今回の騒動のすべてを物語っている様な気がしてならないので、
今節のエントリーでは、彼らの推測記事などを書くのではなく、そこから受けた実社会の”翻意”(気変わり)というやつにフォーカスを当てて言及してみたいなぁなんて。考えたのであります。

一説によれば、当初は、5人全員が意気軒昂に違う環境へ飛び出すつもりでまとまっていた。
とありましたが。
私はそうは思わないのです(あくまで推測ですよ)

おそらく、キムタク氏と中居くんは、長年の付き合いの中で「近親憎悪」と言う現象に陥ったのではないかと、そしてそれをベースとして今件出発しているのではないかと勝手に想像しています。

◆近親憎悪=性格の似通ったもの通し憎しみ合うこと

・・・性格が似通っているか?
似てないぁ・・・と思いますが。

常に同じ環境に近いポジションで、アドレナリンの出る場所も時間も近ければおのずと感情面が似通ってくるのかもしれません。
ましてや25周年を迎えるとあっては、ちょっとした家族と同じくらいの時間軸で生活が重なっている事も推測できるでしょう。

このような観点から考えると、同じ目的、同じ行動などを長年ともに継続していると、近親的な現象になり、おのずと次はそれが憎悪に変化するといった考えはごく自然かもしれません。

当初から、切磋琢磨しているうちに、知らず知らずのうちにほんとの本気でライバル関係になってしまったといえば現実社会的に伝わりやすいでしょうか。

サラリーマンの同期入社がやがては血道を争う派閥を形成するような事は日常茶飯事ですが。

そのような関係になって行ったのでしょう。

で、それをベースとして、

一連の「出ていけ!」的な発言以外にも忸怩たる思いの出来事や発言など様々乗り越えてその時を迎えてしまったのでしょう。

だから、当初はまとまっていたはずの全員の意向が、中央にたった人間の想定外のセリフに、「お前最初そんなこと言って無かったやんけ!」(関西弁ですいません)となって、あの時のため息になって思わず口をついて出たのかと思っています。

※※※※
家族を持っている事と独身とでは、独立や旅立ちに関して「勢い」や「加速力」が異なるのはこれは仕方のない事なので十分理解できます。

だから、途中で翻意した工藤静香の旦那さんも決して悪いとは言い切れない部分もあるでしょう。
でも、それは全員が結束する前までにどのような煽るセリフを吐いていたかにもよるんですけどね。

俺もついていくから任せとけ的な発言をして独立を煽っていて急に前言撤回をしたのであるならば、それはおそらく現実社会ではアウトでしょう。
だから、もしその様な感じで煽られていて梯子を突然外されたなら、9月以降は完全に分解するのではないかと思います。

一方、冒頭にも記したように、近親憎悪からそう言った大事な打ち合わせも会話することなく、恐らくついてくるであろう的な推測だけで見切り発車失敗したのであれば、また話は別だと思いますが。

いずれにせよ、真実は彼ら5人と事務所の人間しかわからないと思います。

で、あれば、前で組んだ手を時折つねりながら、神妙に発言していた彼の心境、あとため息の意味がよくわからないのでありますが。


現実のサラリーマン社会においても、長く勤めていると、理不尽が降り積もって必ず一度や二度は辞めて独立!や違う会社へ!などと言った経験をする人などごまんと存在します。

ただ、辞めたい意思表明を取り下げた時に、世間の目に晒されて謝罪を強要されるのは、芸能人ならではの辛さ切なさなのでしょうね。

その辺りが一般人とは違うのが気の毒で、人生を捧げるものが異なると自分自身が商品となっている人はほんとにひとつひとつの決断が重いなぁ・・・なんて考えたりするのですが。

今回の出来事は、別に人様に多大な迷惑を掛けた類の事でもないのに。
もっと真剣に謝罪会見しないといけない大人がたくさんいると思うのですが。

今回は「謝る」と言った事の意味合いを改めて考え直させる出来事であったと言う事で閉めたいと考えました。